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<ノベル>
よし、と清本 橋三(キヨモト ハシゾウ)は頷く。しゃがみこんでじっと真正面を見据え、辺りを見回し、何度も何度も視線を上下左右に動かし、ようやく一点に視線がとどまったのだ。
「今日は、この『ざっはとるて』を頂こう」
力強く指差す先には、黒色に光る小さな円形のケーキが並んでいた。かれこれ十分間、洋菓子店のショウケース前で、橋三はケーキを選んでいたのだ。だが、十分間は決して無駄な時間などではない。本日の甘味を堪能する為の、大切な吟味時間なのだから。
「はい。飲み物は、いつものコーヒーで?」
橋三に言われ、店主はにこやかに応対する。週に何度かやってくる橋三は、すっかり常連客となっていた。
「ああ、熱いのを」
にこやかに橋三が答える。店主は「はい」と答え、ショウケースからザッハトルテを一つとり、店の奥に消える。
コーヒーを炒れ、ケーキが丁度よい温度になるのを待つためだ。
いつものように、橋三は店の一角に設けられた喫茶スペースへと向かう。足取りは軽い。これからケーキを堪能できる喜びが、自然と足取りを軽くさせるのだ。
「お待たせしました」
暫くして、湯気が立ち上るコーヒーと、生クリームを添えられたザッハトルテが橋三の前に置かれた。ショウケースで見たものよりも、上からかかっているチョコレートに照りが出ている。とろり、と溶けて来そうだ。
橋三は「では」といい、フォークを手にする。はやる心を抑えつつ、す、とザッハトルテにフォークを入れた。ふわ、という感触が手に伝わる。
口の中に入れると、思わず顔がほころんだ。
ふわふわのココアスポンジが、口いっぱいに広がる。ただ甘いだけではない。中に塗られた杏ジャムの甘酸っぱさと、チョコレート特有のほろ苦さが、互いを高めあうように融合している。上からかけられていたチョコレートは、想像以上に口の中でとろけた。それがまたスポンジとよく合っている。
「旨い」
満面の笑みを浮かべながら、橋三は唸る。
「有難うございます」
店主は笑顔の橋三を嬉しそうに見つめ、頭を下げた。橋三はコーヒーをすすり、今度は生クリームをつける。またちょっと違った触感と味になる。それがまた、美味しい。
「そういえば、清本さん。今月末、空いていますか?」
大方ケーキを食べ終えた辺りで、店主が橋三に訪ねる。
「月末なら、空いているが」
どうした、と小首をかしげる橋三に、店主は「娘が結婚するんです」と微笑む。
「宜しければ、来て頂けませんか?」
「よいのか?」
「勿論です。腕によりをかけたウェディングケーキを作ってやりますから」
晴れやかに、店主は笑う。彼の作るウェディングケーキは、最高のものになるだろう。目出度い席に呼ばれる上、美味しいケーキまで食べられるとは。
橋三は微笑み、ゆっくりと頭を下げる。
「招待、ありがたく受けさせていただこう。この度はご結婚、おめでとう」
顔を上げた先には、店主の嬉しそうな顔があった。
結婚式当日、橋三は一張羅に身を包み、式と披露宴に望んだ。式は恙無く終わり、披露宴へと突入した。
店主の娘の相手である新郎は、ムービースターだった。戦争映画から具現しており、勇ましい顔つきをしている。ただ、新婦が幸せそうに微笑み見つめると、勇ましい顔がゆるりとほころんだ。幸せなのだな、と傍から見ていても分かる。
「新郎の宿敵が、たまたま新婦を人質に取ったところ、颯爽と救い出したのが新婦なのです」
新婦の友人が、力強くスピーチをする。途端、会場内から「おお」という感嘆の声が漏れる。銀幕市ならではの出会いだ、と橋三は笑う。
新郎新婦の友人からのスピーチで胸を熱くしたり、歌や手品といった宴会芸を見て楽しんだり、花嫁が使ったブーケを次の花嫁に託す、ブーケプルで賑わったりして、披露宴は進んでいく。出てきた料理も、見た目は勿論味までしっかり堪能できた。
(で、最後にあれだな)
橋三はちらりと新郎新婦の隣に置かれている、大きくて美しいウェディングケーキを見る。洋菓子屋の店主が腕によりをかけたというだけあり、見ているだけで胸が躍る。
二段重ねの真っ白なケーキは、沢山のフルーツや色とりどりの砂糖菓子のバラで彩られている。真ん中には、新郎新婦を模した砂糖菓子が仲良く並んでおり、その前に置かれたプレートには「ハッピーウェディング」という文字と共に、新郎新婦の名前がチョコレートで描かれている。
「しばし、ご歓談下さい」
司会者がそういった途端、新婦の良心である店主が酒を注ぎに回りだした。新郎はフィルムから出てきたため、両親がいない。代わりに、対策課からよこされた人が酒をついで回っていた。
「清本さん、今日はおいでくださり、有難うございます」
橋三のグラスに、店主が酒を注ぎに来た。
「ああ、すまないが、俺は」
橋三がそこまで言った所で、店主は「分かっています」と言って笑う。
「下戸、でしたね」
店主はそう言い、酒ではなくオレンジジュースの瓶をかざす。橋三は、ふっと微笑み、グラスを差し出す。
「おめでとう」
「有難うございます」
オレンジジュースの入ったグラスを傾け、橋三は「いい顔だ」と笑う。
「二人とも、幸せそうだ」
「そうですね。最初はムービースターと、と思ったんです。銀幕市から外に出られない、そんな存在ですから」
店主はそう言って、新郎を見つめる。幸せそうに微笑み、顔を見合わせる二人。一見普通のカップルだが、色々と制限されている。
ムービースターであるが故に、銀幕市から外には出られない。新婚旅行は銀幕市内をぐるりと回るのだそうだ。
価値観だって違う。映画の中の世界で生きてきたのだ。順応はしても、これまでの生き方はどうしても映画内での設定によっている。
「だけど、清本さんとお話していて、思ったんです。ムービースターという枠じゃなくて、彼自身を見よう、と」
「そうか」
橋三は照れたように笑う。
店主は「そうなんです」と言って、また笑った。
「今まで反対していた分、私は思い切り祝ってやろうと思いました。だから、作らせて貰ったんです。ウェディングケーキを」
橋三は「なるほど」と言って頷いた。
あの見た目もすばらしいウェディングケーキには、たくさんの思いが詰まっているのだ。店主が新しく夫婦になった二人に向けて、今まで反対していたお詫びと、これから幸せになって欲しいという願いと、素敵な日にしてくれたお礼とが、たくさん詰まっている。
「それでは、皆様。いよいよ、二人の初めての共同作業となります」
わあ、と声が沸いた。新郎新婦は立ち上がり、ケーキの前に立っていた。
「なんとこのウェディングケーキ、洋菓子店を営んでいる、新婦のお父様によって作られたものです」
司会者からの紹介に、再び会場内が沸いた。店主も嬉しそうに照れている。
照明が少し暗くなり、ナイフを持つ二人にスポットライトが当たる。
「ケーキ入刀です!」
バックミュージックが盛り上がり、新郎新婦が一緒にナイフを下ろそうとする。
その時だった。
――ばぁん!
大きな音が鳴り響き、勢いよく扉が開いた。何事かと見ると、そこには妙に派手な戦闘服に身を包んだ男が一人と、似ているが多少地味になっている戦闘服に身を包んだ者達が大勢たっていた。
「いい身分だな、結婚とは!」
派手な戦闘服を着ている男が、リーダーなのだろう。彼は新郎を見て、嘲笑する。
「貴様、何をしに来た?」
新郎は新婦を背に庇い、男を睨みつける。
「何って、決まっているじゃねぇか。どんな面で結婚なんてものをしやがるのかと、見に来てやったんだよ」
男はそう言い、つかつかと新郎の下へと向かう。その途中で何度もスタッフに阻まれそうになるが、部下達が銃を突きつけてそれを黙らせた。そうしてケーキの元にまでやって来た男は「こんなものっ」と言いながらケーキの乗っている台を蹴り飛ばし、唾を吐きかけた。
「くっだらねぇ」
がちゃり、と新郎の額に銃口が押し当てられた。新郎は新婦を庇いつつ、男を睨みつける。手にしているのはケーキ入刀に使うナイフ一本、背には新婦、会場はほぼ民間人。どうすればいいのか、新郎は必死に頭を回転させた。
「……その『けぇき』には、親の情が籠もっておる」
がんっ、と音がした。音がした次の瞬間に、男の手に握られていた銃は床に落ちていた。男は手を押さえてうずくまる。
手の甲は真赤にはれており、真ん中に楕円形の痣が出来ていた。
即ち、柄の形。
「二人、末永く達者でアレとの願いが、籠もっておる!」
新郎はゆるりと顔を上げる。新婦が「ああ」と感嘆の声を上げる。
そこに立つのは、清本 橋三。時代劇から出てきた、ムービースター。用心棒ではあるが、最終的にはおいしい所で斬られる、定番パターンの真の主役。
クライマックスシーン以外では、主役格さえも圧倒するほど強い剣術を嗜む橋三にとって、疾風の如く銃を向けた男の手の甲に柄を打ち付けてやるなど、朝飯前だ。
「な、なんだ、お前は」
男が痛む手の甲を抑えつつ、睨みつける。
「本当ならば、おまえさんが蹴飛ばし、唾吐きかけたその『けぇき』は、軽々しく触る事すら許されぬのだぞ!」
「何を……やれ!」
男の合図と共に、手下達が橋三の下へと走ってきた。橋三は「ふん」と一つ息を漏らし、辺りの参列者達に「下がっておれ」と言う。
「すぐに済む」
橋三の言葉通り、一瞬のうちに向かってきた手下達は一気に倒れた。橋三はただ、手下達の間を走り抜けているようにだけ見えた。だがその実、橋三は刀で以って、向かってくる手下達を打ち払っていた。目にも留まらぬ速さで、一瞬のうちに。
その動き、疾風の如し。
「分からぬか? 痴れ者め」
尚も向かってくる手下達と、呆然とする男に向かい、橋三はじろりと睨みつける。憤怒に燃える眼光に、手下達と男はたじろぐ。
橋三は「ならば」と言って、刀を構える。
「この一刀を以って、人の道を知るが良い」
「くそ、やれ!」
男が号令し、手下達は橋三へと向かっていった。
(俺の魂の友に、何という事をしてくれたのだ)
軽やかに舞うように敵を倒しつつ、橋三は思う。
(本当に、何という事を)
視界の端に映るのは、あの倒されたケーキ。洋菓子店主が丹精こめて作った、美しかったウェディングケーキ。
「あ、上部分は無事じゃないか?」
耳に聞こえる、倒れたケーキを片付けているスタッフの声が聞こえる。
「本当ですね。唾を吐きかけられたのも、下部分でしたし」
「二段重ねにしたかいがありましたね。これなら、上部分だけでも救出できますよ」
「倒れたケーキを、食べても良いといってくださると良いんですが」
スタッフに混じる、店主の声。
(大丈夫だ。俺の魂の友……『けぇき』は、食べて欲しがっているのだから!)
カチンッ。
刀を鞘に納める音と共に、最後の一人がばたりと倒れた。
「……派手にやりましたね、清本さん」
新郎側に座っていた対策課の人間が、呆れ顔で近づいてきた。
「うむ、赤子の手を捻るより簡単だった。それより、対策課に連絡は」
「しました。もうすぐ、彼らを回収に来ると思いますよ。でも」
彼はそう言い、転がっている手下と男を見る。血が流れたりしていないだろうか、と心配そうな顔をして。
「案ずるな。婚儀の宴において、切る、という言の葉は禁句なのだろう?」
「あ、本当だ」
確かに、誰一人として傷ついていない。全て見値打ちで倒したのだ。
「有難うございました」
新郎新婦と、店主が橋三に近づく。それを皮切りに、会場内から大きな拍手と完成が沸きあがる。
「いやなに、大事にならなくて何よりだ」
「なりましたけどね」
ぼそり、と対策課の人間が突っ込みを入れる。
「清本さん、これ、無事だった部分です」
店主はそう言って、無事だったケーキの上部分をカットしたもの皿に乗せ、フォークと共に橋三に手渡す。カットケーキながらも、大きなバラの花の砂糖菓子が乗っている。
橋三は「これはこれは」と言いながら受け取り、フォークで切って口にする。ふわりとしたスポンジと、程よい甘さの生クリーム、それにたっぷりの甘酸っぱいフルーツたちと融合して、口いっぱいに広がっていく。
「実に旨い。殺陣の後の甘味は、また格別よ」
「それはよかったです。こっそりケーキカットしたかいがありました」
店主の言葉に新郎新婦を見ると、いつの間にやら生クリームのついたナイフを手にしていた。
橋三は「見逃してしまったな」と小さく笑い、再びケーキを頬張る。
バラの砂糖菓子は、口の中に甘さを残し、ほろりと溶けていくのだった。
<遠くから対策課の車の音が聞こえてきつつ・了>
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クリエイターコメント | お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。 この度はプラノベオファーを頂きまして、有難うございます。狙っていただいていたと伺い、凄く嬉しいです。 コメディと言う割にコメディになっていなくてすいません。むしろシリアスになってしまいました。ケーキはおいしそうに、清本さんは格好良く、を心がけつつ書かせていただいております。 少しでも気に入ってくださると嬉しいです。 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。 それでは、またお会いできるその時まで。 |
公開日時 | 2008-07-28(月) 18:40 |
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